印刷十話

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高くつく追悼集 あれこれ盛り込み予算倍

印刷こそ文化の母

現在われわれの生活のうちで,印刷ほど身近なものはないのではないかと思われるほどである。紙幣,証券,新聞雑誌をはじめ建築材料,電気製品,食料品その他の包装用等あらゆる分野に利用されている。その資材は空気,水以外のものなら何でも印刷できる。紙に至っては印刷されていないものはチリ紙,トイレットペーパーぐらいなもの。紙屋にいわせれば「紙の使用量は文化のバロメーター」というが,われわれからいえば「印刷こそ文化の母」である。印刷は知識を広める。人類の進歩発展に欠かすことができない。一方人間の考えを指向するのにもこれほど有力な武器もない。そのため政治的にも大いに利用され,その手段として発売禁止の措置をとられてきたことは大方の熟知するところである。

私は現在,出版物,ポスター,カタログ,コンピューター周辺紙までいろいろ手掛けているが,その半生は学術出版物に終始したといってよい。文字のデザインから字母,活字,写真製版,印刷,製本まで一貫してやってきた。従って本を作ることの相談を受けたことはどれほどあったろう。外国で出版する本に助言したばかりにその校正までお手伝いするハメになったこともある。

学術出版にはリスクは少ないが,その他のものの場合には時々妙なことが起こることがある。ことに自費出版では,10年もお金をためて出版しようとしたらまだ金が足りない。もう1年貯金しなければならない。しかし,一年後になると紙や印刷料が高くなるのでまた出版出来なくなる。ちょうど今のマイホーム造りみたいなものだ。気の毒なので残金は来年回しにしたことがある。それより苦手なのは追悼集である。御遺族が出す場合と友人たちが発起して作るのと2通りある。ことに後者は概して予算不足。作り始めると,ああもしたい,こうもしたい,カットには故人の残したスケッチや写真がある。見返しには絶筆の手紙を入れたい,飾りには故人の好きだったこれも入れたい。何やかやでだんだんとふくれ上がってくる。出来上がったら予算の倍もかかってしまったなどは枚挙のいとまもない。また戦前,仙台の芸者の顔写真集も作らされた。出来上がった広告料を集めて来るからとて50冊ほど持って行ってドロンをきめられた。ドッサリ残部が倉庫入りしたので兵隊への慰問袋に入れてやったらウンと喜ばれてたくさんのお礼状をもらい,思わず苦笑してしまったこともあった。

完成後30万円には驚き

これまで数多くの出版物にかかわりを持ったが,そのうち永久に残されるだろうと思われる本や日本学士院賞,朝日賞,菊地寛賞,柳田国男賞などを受けた本を何種類か印刷した。そのうちで私の心に残るものの1つに「渋沢栄一伝記資料」がある。これは明治・大正・昭和にかけての財界の大御所渋沢栄一翁の生涯の事績をその資料とともに収録したもので,全58巻,補遺10巻合計68巻,20年かかって完成した。編集責任者東大名誉教授土屋喬雄博士には朝日賞が贈られた。この本は予約で販売されたが,ひとそろい58巻で11万6千万円,あとの10巻は予約者に無料で配布された。この本がまだ20巻ぐらいしか出ない時にすでに古本のリストに「完成後30万円」という広告が出ていてびっくりした。そのうえおまけの10巻がついたので今ではその値段も見当がつかないくらいになったのではあるまいか。今流行のエコノミック・アニマルもモチ米の買い占めなどより,この本のようなものに投資したらもうかりもしたし,感謝もされたろうに。

国連で『印刷年間』

本を作る私として多少の不満もある。それは「新聞週間」や「読書週間」などがあってマスコミも大いに太鼓をたたいてくれるが,「印刷週間」はない。「印刷」あっての新聞であり,書籍雑誌であるはずなのに,全くおかしな話である。国連でも1971年は「印刷年間」としていろいろな催しをしてくれた。日本ではこのことを知っていた人は果たしてどのくらいあったろう。もうけるのに忙しく気にも留めないのかもしれない。

「印刷」は今や人類にとって空気や水のようなものになってしまい,あって当たり前,無いことなどは考えもしないのであろう。しかも印刷料が高くなったとお小言さえ頂戴する今日この頃である。