ホーム印刷十話第九話
近ごろ電算機社会という言葉をよく耳にする。電算機の発達普及はめざましいものがあり,電算機と人間のシステム化,電算機同士のシステム化も考えられ,アロハ・システムと呼ばれるインテルサット4号を使用し,ハワイ大学をキーステーションとして情報交換を日米間の大学で行なわれようとしている。そしてコンピュートピアなどという新語が生まれる時代である。
17年ほど前,米国国務省からの招請で「同じ分野のリーダーとの懇談,両国民親善交友の増進」の目的を推し進めるために渡米した。このとき大中小のいろいろな印刷会社,研究所,機械メーカー等を訪問した。その当時米国ではコンピューターの大流行のきざしがあり中級以上の印刷所でもほとんど小型IBMを設備,キーボード,カード分類機及び小型計算機を持っていた。その仕事は給料計算はもとより,毎日の原価計算,損益及び仕事の流れをチェックするのだという。そして街にはカードパンチ,計算の各々の専業会社もあり,機械はレンタルでやっているという。今はどこでも見受けられるが,当時そのようなシステムのあることは予想もしなかったので,感心もし,驚きでもあった。その上,政府機関での多額の入札などにはコンピューターによる試算書まで添付しなければならぬとも聞いた。IBMにも行って見た。もちろん研究所,工場の見学は出来なかったが8畳間にいっぱいになるほどの黒塗りのデッカイ鉄箱を見せられ,これは保険会社のためのもので,250万ユニットを永久保存が出来,毎日の加入者の入金,貸し出し,その利息の計算まで全部瞬間的に行ないプリントされて出てくるのだとのこと。アメリカの大都市或はその近郊に時々窓の少ない壮大なコンクリートの建物を見た人も多いと思う。これは保険会社の書類倉庫である。然しこの種の建物もこのコンピューターがあれば不要になってしまうという。本当のところ何が何だかわからぬままに辞去して来た。
しかし今後はどうしてもコンピューター時代がやって来るだろう。いやでも応でもそうなるに違いない。サテ私自身としてこのような時勢に何が出来るか――コンピューター用紙の印刷だ。
帰国して,本邦でこの種の印刷機の製造所を探した。なぜなら外国の機械は高価に過ぎてちょっと手が出ない。ことに仙台にはもちろん東京以北にはまだコンピューターなるものは1台もなかった。その印刷所は東京に2,3軒,京都に1軒あるのみで,しかもどの印刷会社も見学もさせてくれなかった。偶然京都に小さな鉄工所で製作しているのを見つけ,ここに発注した。ようやく印刷機は手に入れた。こちらも3年間は研究だとし,長いエンドレスの紙の両側にマージナルパンチ,横縦のミシンを入れ,ジックザックに折り出すビジネス・フォームなるものを勉強した。名前もグランド・ビジネス・フォーム印刷(GBF印刷)とした。
そして半年程だったら,東北開発会社で小さなコンピューターを入れた。さっそく参上して注文をいただき勇躍して印刷開始。そして納入したらこの処女作は見事にキャンセルを食った。理由は紙の幅が合わない。そんなはずはないといろいろと調べたら,印刷中静電気が起きて紙折りが出来ないので工場内の湿度を高めて静電気を空気中に逃がしていた。コンピューターはその性質上湿度は極端にきらう。当然コンピューター室は湿度が極端に低い。従って工場からコンピューター室に持ち込むとトタンに紙が収縮する。紙は湿度に敏感で生き物みたいに伸縮する。それで当時市販されていなかった除湿機を作り,工場内の湿度も下げたり,静電気除去装置をつけたり,また用紙の巻取紙が輸送中に片側が湿気のため片伸がして印刷出来なくなったりして,初めてことなのでさんざんな苦労をさせられた。
そのうえ裏カーボンの印刷装置がなかったため新しくその機械を作ったり,また2,3年前にはあの悪名高いPCB含有の感圧紙のボイコット(今は使用薬品の変更で無害),ソフトウェアの開発によるいろいろな型式の印刷物の注文,これらのため四六時中印刷方法を考えねばならない。こんな苦労はするが機械の方もいろいろと研究され改良され,今では何の苦労もなく印刷出来るようになった。当時は毎分3,40枚であったものが今では輪転印刷に変わり分速70メートルから百メートル以上も印刷し自動的に仕上げられるようになった。
一方コンピューターもますます発達し,中型から電卓に至るまでメーカーも雨後のタケノコ。官庁,自治体をはじめ目ぼしい会社商店などもメジロ押しに設置して来た。こうなると印刷物も多種多様で急激に需要は増加して来る。当然印刷屋はわれもわれもとその設備をし,次いでダンビングが起こる。この紙の少ない,手に入りにくい時勢でさえ紙価に少し毛のはえた程度の安価発注するバカもいる。東北地方にも遅ればせながら同業組合も結成されたが,加入さえ拒否するわからずやもいる。困ったもの。
とにかくテストパイロットは苦労するものである。