ホーム印刷十話第十話
世界を震惑するような発明は昔は1世紀に1つぐらいのものであった。電気の発見,蒸気機関,自動織機,通信等がそれである。だが,ここ半世紀,ことに戦後はこれらの上を行くような発明発見は航空機の発展をはじめ,電子工学,電算機,石油合成化学,原子力,宇宙科学の面など,想像を絶するようなものが次々と開発されて来てわれわれの生活の面でも衣食住はもちろん,仕事の上でも改革が急速に襲いかかり福祉の名のもとにベラボーな速度でどこかへスッ飛んで行っている感がある。
「印刷」の世界も例外ではなく毎月のように新しい資材の開発が行なわれ取捨選択にとまどうばかりである。本当に今後はどうなるのだろうか。少し可能性のある印刷改革とその夢を考えて見よう。まず文字を原稿により拾う文選作業だが,現在電算機利用の写真による植字機が開発されつつある。原稿によりキーをたたき電算機用のテープに信号化し,これを電算機を通して自動写真植字機にかけると,字詰め,行間も整理されて写真となって出てくる。これから製版して活版かオフセットで印刷する。非常に手軽になるが,この設備は相当に高価である。しかし今後はこれらの利用が当然行なわれることになろう。将来は邦文タイプで打ったものをそのまま電算機が読みとり,活字の写真になって出てくることになるだろう。
少しSF的になるが,人の話したことが仮名タイプになり,それを漢字に直されて出てくるだろうし,それを電算機が読んで活字になるだろう。理想をいえば話した言葉がすぐ世界各国語に翻訳され,タイプされて出てくるようになれば面白い。それが直ちに印刷原稿になれば世界会議などには持って来いの役目を演ずるだろう。
印刷の面でもすでに30数年前米国のフューブナーによってオンセット印刷の構想が明かにされた。これは2つのシリンダーの1つに版をつけ,一方は紙のガイドにし,版と紙との間に1/100ミリ位の間隔をおく。この2つのシリンダーの中に電気を通すプレートを組み込み,その刃を対向にセットする。シリンダーは回るが刃は動かない。そしてこの2つの刃にそれぞれプラスとマイナスの電気を通じる。すると版のインキが紙の方にジャンプして印刷される。
もう一つはインキを霧状にして版と紙の間を流し,刃に通電する。そして放電された個所だけにインキが吸着する。これをスモーク印刷といい,オンセットはこの2つの方法が考えられている。元来印刷には圧力を加えることが絶対に必要であるが,オンセットの構想によれば圧力は全然いらない。従って版の磨耗は全くなく,速度も現在の数倍にすることも可能だ。実は私も30年前のこの方法を実験してみたが,電気の知識に乏しい私は結局は失敗してしまった。このごろ欧州ではこの方法らしいものが出来,卵,ジャガイモ,フットボールなどの平面でないものの上にマーク印刷などが行なわれているとか。また7年程前に段ボールの波型の表面にこの方法で印刷されたのを見た。そして英国ではそのための非常に簡単な静電発生装置が作られたとのこと。これは主にプリント地印刷のためとか聞いた。これは静電グラビア印刷と呼んでいるが新しいもの好きの日本にどうして入って来ないのか不思議に思う。また,既に一部実現されている特殊な印刷法にステレオ印刷,磁気印刷,香料印刷,液晶印刷などがある。液晶とは液体状態で光学的には結晶の性質を持つ物質のことで,この液晶を超微粒子のカプセルに詰めて印刷する。ある種の液晶は温度に敏感で青,緑,セピアなどの色を発色する。これで印刷した紙片を患者の患部にあてると,その発色によりその部分の体温を計る“使い捨ての体温計”もアメリカでは試作しているという。
ファクシミリ(遠隔電送写真)もすでに実用化し,組版そのものを電送しているが,相当の時間がかかる。将来はテレビの走査線数を増し,組版,写真などを瞬間的に電送するだろう。
レーザー光線も印刷術に組み入れられストロボに代わり,色分解に,あるいは電送に一役買うことになるだろう。またフォトクロミズムとかホログラフィー,フォトクロミックグラス,フォトクロミックフィルム,その他音声タイプ,電子写真輪転印刷,家庭ファクシミリ,テレビ電話とか,まだまだわれわれの周囲には印刷関係の技術が持ち込まれる分野が多分に考えられる。
最後に資材の問題だが,私が20年ほど前から友人,学者のかたがたに提唱してきたものがある。それは画線にのみインキが付着し,非画線部には絶対につかないインキと版材の開発である。インキも版材も在来の原材料には関係なく,全然別の素材で結構,このようなものを開発してほしいということだ。しかしみんなニヤニヤしているのみで真剣に考えてはくれない。もしこのようなインキと版材が発明されたら今の印刷そのものが完全に変革されるだろう。凸版,オフセット,凹版,グラビアの相違もほとんどなくなるだろうしオンセットの発展にもつながることになる。こうなれば印刷もごく簡単になり印刷屋それ自体の存在の意味も少なくなるだろう。このようなもが発明されないのでわれわれもまだまだ生きて行かれるのかもしれない。